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中小路の町指定文化財 

最終更新日:2013年03月07日

  結婚記念撮影

 久保田さん・市川さんのご両人です。

 南東庭園の池の東南岸での撮影です。後方の小高い所に「松の茶屋」別名「凌雲亭」が

ありました。

 

中小路の町指定文化財

 

   結婚記念撮影

 カメラマンから、いろいろなポーズの指示が出ます。お二人は指示通りのポーズを

とります。

 

花婿・花嫁1

  

    結婚記念撮影

  ドレスのアップです。「あれれ~~っ。」と思った方はお眼が高いです。

 実は、和服をドレスに仕立て直したものです。

 久保田さん・市川さん、ご協力ありがとうございました。お二人のご多幸を

ご祈念申し上げます。

 

花婿・花嫁2

   

 

中小路の石垣(柴田家:町指定重要文化財)

  柴田家の石垣は、大手門から南進する「大手通り」から西に折れると中小路に入りま

す。この中小路の右側(北側)奥の石垣で、東西方向に築かれ、最も西で北側に6.8m、

折れています。高さは1.1mです。

 東西方向の石垣の長さ44.2m、高さは東側で1.2m、西側1.1mあります。10×15~

15×30cm程の石を矢羽積(やばねづみ)とし、石垣最上段を30×50cmの石で押えて

います。 西南方向より撮影。

 


柴田家の石垣

 

中小路の石垣(高橋家:町指定重要文化財)

  柴田家の石垣の南側にあり、柴田家の石垣と対になっています。両石垣間は約

12.6mあり、これが当時の道幅です。

 東西方向の石垣の長さ100m、高さは東側で1.2m、一番高いところで1.7m、西側で

1mです。10×15cmの石を矢羽積しています。 西北方向より撮影。

 

高橋家の石垣(北側)

 

中小路の石垣(高橋家:町指定重要文化財)

 南北方向の石垣です。先ほどの中小路を左に折れるとこの石垣が現れます。

 長さ15m程で高橋家の長屋門等に接しています。ここの石垣の高さは0.8mです。

長屋門の南の石垣の長さ47m、高さは1.2~1.3m、10×15~15×30cmの石を矢羽積に

し、30×50cmの石で最上段を押えています。 南西方向より撮影。

 

高橋家の石垣(西側)

 

高橋家の庭園(町指定名勝)

  主屋の南側に築庭され、庭園の面積は約450平方メートルで、庭の中央にある池は東

北ー南西間に8.5mの長軸があり、ヒョウタン形です。「心字の池」「蓬莱(ほうらい)

の滝」「月見灯籠3基」「戒めの石」「樫の木」と5つの特徴があります。

 江戸時代の地方武家の庭園史を研究する上で重要な庭園です。 北東より撮影。

 

高橋家の庭園

 

中小路の石垣(山田家:町指定重要文化財)

  東西方向(写真右)と南北方向(写真左)の石垣が交わるところで、「大奥」と呼ば

れる角地です。東西方向の長さ50.7m、高さ0.9~1.2m、10×15~15×30cmの石を矢

羽積とし、石垣最上段を30×50cmの石で押さえています。

 南北方向の長さ18.5m、高さ1.3~1.4m、20×30~20×40cmの石を矢羽積していま

す。この先は高橋家の石垣に接続しています。 南西方向より撮影。

 

山田家の石垣(東・西側)

 

中小路の石垣(山田家:町指定重要文化財)

  南北方向の長さ約110.6m、「喰い違い郭」がある南側から55.6mまでは高さ1.7m、

そこから北側は高さ1m以内です。20×30~20×40cmの石を矢羽積しています。

 南東方向より撮影。

 

山田家の石垣(西側)

 

山田家の喰い違い郭(町指定重要文化財)

  主屋の東南側にあり、中小路に面して構築されています。中小路の石垣の一部となっ

ており、戦時の防衛上のために造られたといわれています。

 喰い違い郭の道幅は2.2mで、奥(西側)に4.5m延びて左(南)に折れ、2.8m延びて

止まります。石垣の下幅1.7m、上幅1.5m、高さは1.3mです。 東北より撮影。

 

山田家の喰い違い郭

 

御殿前通りの石垣(山田家:町指定重要文化財)

  「喰い違い郭」が設けられている南北方向の石垣が西に折れる箇所より始まり、東西

方向に築かれています。写真の先に小幡藩邸があります。石垣の長さ41m、高さ1~

1.2m、10×15~15×30cmの石を矢羽積にし、最上段を30×50cmの石で押さえていま

す。途中3.1m程石垣は撤去されています。 東南方向より撮影。

 

御殿前通りの石垣(山田家)

 

大奥の庭園(山田家:町指定名勝)

  主屋の南側に築庭され、面積は360平方メートルです。池は東西に14mの長軸があり

ヒョウタン形をしています。

 幕末、アメリカよりペリーが浦賀に来た時、将軍が江戸城大奥の女性達15人程を親藩

(将軍家と親類の藩)の小幡藩(松平氏)に疎開させたと伝えられています。これ以来、

「大奥の庭園」と呼ばれています。

 江戸時代の地方武家の庭園史研究の上で、大変貴重な庭園です。 北西より撮影。

 

大奥の庭園(山田家)

 

中小路の空間

  中小路の道幅は七間(12.6m)ありました。当時の石垣等の遺構を現在まで残してい

ただいた先人方に敬意と感謝を表します。本当にありがたいことです。今度は我々が

この空間や遺産を後世に残していかなければなりません。 

 南(甘楽第二中学校側)より撮影。

 

中小路の石垣

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