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甘楽町指定重要文化財  吹上の石樋及び石樋記(石碑)

最終更新日:2013年03月07日

吹上の石樋 (下流より見た状況)

 下流から上流を見ています。底石の上に水が流れ、両側に側壁石を組み、側壁石が
倒れないように、長方形状角柱石で押さえています。石材はすべて緑色片岩です。
 この石樋の下に堀沢(ほっさわ)川が写真左から右に流れ、雄川(おがわ)に合流しています。    東北より撮影.

 

 2012.8.30-1.JPG

 

 

吹上の石樋 (上流より見た状況)

 今度は、上流から下流を見ています。
 石樋の全長約7.7m、幅約1.7mあります。底石は2個の石で造られ、水路の
ほぼ中央で接していますが、段差など見られなく、精巧かつ綺麗に仕上げられて
います。      南西より撮影.
 

 

2012.8.30-2.JPG  

 

 

吹上の石樋 (上流より)

 上流から下流を角度を変えて見ています。側壁石は写真右側で全長7.7m、高さ
46cm、厚さ12cmで、上流から3.1mで組み合わされています。写真左側の側壁石は、
全長7.9m、高さ46cm、厚さ12cmで、上流から1.8mと5.8mの2箇所で組み合わされています。   西方より撮影.

 

 2012.8.30-3.JPG

 

 

吹上の石樋 (底石と側壁石)

 写真左側が上流です。底石の上に側壁石が組まれ、その上に角柱石で側壁石が
倒れないように構築されています。いつもながら先人の知恵と努力には感心させ
られます。
 石樋の下に見えるのが堀沢川です。    東南方向より撮影.

 

 2012.8.30-4.JPG

 

 

石樋と堀沢川

 写真左側が上流です。底石の下面より堀沢川まで約2.5m測ります。
 この石樋が架けられる前は木樋でした。小幡藩最後の藩主松平忠恕(ただゆき)の
命により、慶応元年(1865)8月から慶応2年3月までの7ケ月間で木樋から石樋に架け
変えられました。労働力や経費等相当かかったものと思われます。 南方より撮影.
  

 

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石樋底石の下面(上流側)

  石樋底石下面の上流側の状況です。写真中央で2つの石が接しています。
結構水が漏れていますので、傘をさして行かないとズブ濡れになってしまいます。

 

 2012.8.30-6.JPG

 

 

石樋底面の下面(下流側)

 下流側の底石下面の状況です。底石は、写真右側で幅1m、厚さ16~30cm。
左側の底石の幅0.7m、厚さ16~30cm。長さは両石とも約7.5mあります。

 

 2012.8.30-7.JPG

 

 

石樋記(石碑)

 小幡藩最後の藩主、松平忠恕の篆書(てんしょ) で上部に「石樋記」とあり、
下に縦書きで建設工事の経緯等が書かれています。
 石樋下流側の右岸に建てられており、高さ215cm、幅47cm、厚さ9cm、石材は
緑色片岩です。
 この石碑は、石樋と切っても切れない重要な価値を持つ碑です。 北方より撮影.

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