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甘楽町新指定文化財(平成29年度)
最終更新日:2018年02月28日
新指定文化財
平成30年1月31日、甘楽町教育委員会において9件10点が重要
文化財に指定されましたので、ご紹介いたします。
1. スタール銃 一挺
小幡藩松平氏が購入した洋式銃二挺の一つです。もう一挺は平成
25年2月に指定されています。
本銃はスタール騎兵銃と呼ばれるアメリカ製で、ニューヨークの
ヨンカースで製造されました。江戸時代の幕末期に数多く輸入され
ましたが、現存する銃は少ないです。
全長95.5センチ、銃身長50.9センチ、口径1.3センチ。引き金を
引く右側上部に 「STARR ARMS CO.YONKERS N.Y.」の
刻印が刻まれています。
旧小幡藩士宅にありました。
甘楽町歴史民俗資料館で展示中です。
2. ルフォーショー6連発リボルバー ピン打銃 一挺
ピン打式銃は、フランス人のルフォーショー(1802~1852)が
考案し、金属製薬きょうを使用する発火方式の銃です。
1860~70年代にフランス、ベルギー、イギリスで製造され、江戸
時代の幕末期に輸入されました。
本銃は、ベルギーのオーガスト・フランコット社製です。
全長28.5センチ、銃身長15.4センチ、口径1.1センチです。
小幡藩松平氏がスタール銃を購入した時に、この銃も購入したもの
と思われます。「壬申一三七八群馬縣」の刻印があります。
旧小幡藩士宅にありました。
甘楽町歴史民俗資料館で展示中です。
「壬申一三七八群馬縣」の刻印があります。明治5年(1872)政府に
より銃の所持が許可制となり、「一三七八」は登録番号と思われます。
3. 清助・清蔵(天明糸絹運上金阻止活動指導者)の墓石
江戸幕府は、天明元年(1781)上州などの糸絹市場に高額な
運上金を課しました。利益を得るのは仲買人と幕府であり、市場
から商人が消え、取引も全く行われなくなりました。
この悪政に生産者の農民が運上金阻止に立ち上がり、清助、清蔵
も指導者の一員として、西上州一帯にかけて阻止活動を展開しまし
た。幕府は天明元年8月に運上金を中止にしましたが、その後、清助
は八丈島に遠島、清蔵は追放(江戸の牢内で病死)となりました。
墓石は砂岩で、高さ63.5センチ、正面幅27.3センチ、側面24セン
チ。正面向かって右側に「嶌流道學信士」(清助)、左側に
「流岳寛良信士」(清蔵)の戒名が刻まれています(写真中央)。
甘楽町白倉(しらくら)の天台宗圓明院(えんみょういん)に
あります。
写真右側の墓石です 東より撮影
4. 宝積寺開山堂の天井画
甘楽町轟(とどろく)に所在する曹洞宗宝積寺(ほうしゃくじ)
開山堂は、東西3間、南北4間で、北面する本堂の奥にあります。
嘉永元年(1848)に開山堂は完成しています。
天井は格天井で、 東西7、南北8の56枚の小枠が組んであり、
この中に彩色画があります。
天井画1枚の大きさは55センチ四方でスギ材です。直径47センチの
円形の中に花鳥、動物、バク、龍などが生き生きと描かれています。
絵師名は、「法眼宗信筆」の署名があります。富岡市岡本に所在
する福寿院本堂内に欄間絵「唐獅子牡丹」があり、「法眼宗信筆」、
「絵師落合松蔵」とあり、法眼宗信は落合松蔵と判断されますが、
生年、師匠名、活躍時期、没年等は不詳です。
「法眼宗信筆」と落款(らっかん)2印
5. 富岡製糸場土台石採掘場所跡
世界遺産の富岡製糸場は明治5年(1872)10月4日に操業を開始
しました。製糸場建設にあたり、小幡にある長厳寺裏の連石山(れん
せきざん)から建物土台石が切り出され、これらは「御用石」と呼ば
れました。
土台石採掘場所跡は標高220~230メートルの山中にあり、ふもと
より20~30メートル高所にあります。注文寸法ごとに切り出された
御用石は合計約4,000本になりました。現在もノミ状工具の痕跡が鮮
明に見られます。
写真中央左側の崖状が採掘場所跡 東より撮影
採掘場所跡 壁の高さは約5メートル 北より撮影
6. 学校給食(日本で最初の学校給食記念)の碑
本碑は、日本で最初の学校給食を昭和天皇陛下が深くご関心を寄せ
られ、この福島小学校の学校給食状況を使者に御視察させた記念碑です。
碑文は、昭和9年(1934) 11月15日、陸軍特別大演習を御統監なさ
れた昭和天皇陛下が、久松侍従を御差遣され、同校の栄養給食状況を
御視察させました。これを記念して昭和15年11月に建てた碑です。
碑高3.2メートル、幅1.6メートル、厚さ13~16センチです。
「御使御差遣記念碑」 北より撮影
7. 織田氏の位牌
甘楽町小幡に所在します臨済宗崇福寺(そうふくじ)境内の位牌堂に
10体の織田氏位牌が祀られています。
織田信長二男の信雄公から現在の山形県の高畠藩主信浮(のぶちか)、
天童藩主信美(のぶかず)などの位牌があります。
総高は95センチを超える大きな位牌です。
大名家の位牌は滅多にあるものではなく大変貴重なものです。
8. 明和風土記(寛政本、文化本)
『明和風土記』の原本作者、年代は不明です。
昭和38年(1963)4月1日、幕末の嘉永4年(1851)に筆写された
上下二冊本の『明和風土記』が、町指定重要文化財に指定されており、
嘉永本と呼称しています。
寛政本は、寛政10年(1798)12月の年号が書かれており、上下二
冊の筆写本です。
文化本は、文化5年(1808)9月とあり、一冊の筆写本です。
寛政本、文化本、嘉永本ともほぼ同じ内容で、小幡藩織田氏が移封
するきっかけとなった「明和事件」が書かれています。
小幡藩に起こった実際の事件を物語風に著し、当時実在した人物の
名前も多数記されています。
寛政本
文化本
9. 甘楽社小幡組由来碑
大正6年(1917)3月、甘楽社小幡組組合員が協議し、組合の歴史を
後世に伝え、益々の隆盛を図るために本碑を建てました。
高さ80センチの台石上にあり、碑高194センチ、幅102センチ、厚さ
15センチで、碑文を訳すと「邑(むら)ニ養蚕セザルノ家ナク製絲
(せいし)セザルノ婦ナシ」となり、村中が養蚕に携わり、製糸を
しない女性はいなかったことが理解できます。
当地域の養蚕業をけん引してきた甘楽社小幡組の歴史を伝える貴重な
由来碑です。
今号で私の担当分は終了となります。今までのご高覧ありがとう
ございました。 感謝申し上げます。
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