甘楽町デジタルアーカイブ



メインメニュー

広報に見る町政の移り変わり

見る、聞く、ふるさと

前のページへ戻る
甘楽町デジタルアーカイブ事業
. 甘楽町誕生 発展の軌跡 新たなる世紀へ .
.
安心とやすらぎの町づくり
メインメニュー > 新聞記事から > 《伝統の技を守る 群馬の諸職》8 紙漉き 飯塚源寿さん(70) 甘楽郡甘楽町秋畑 妻と二人三脚で復活

■新聞記事から

《伝統の技を守る 群馬の諸職》8 紙漉き 飯塚源寿さん(70) 
甘楽郡甘楽町秋畑 妻と二人三脚で復活

(1993,12,07上毛新聞3社 連載)

 県道富岡・万場線沿いの民家の庭先から、鉄製の釜(かま)で楮(こうぞ)を煮る煙が立ちのぼる。秋畑・那須地区に伝わる手漉(す)き和紙の唯一の継承者、飯塚源寿さん(70)が、沸騰した化成ソーダの中の楮を時折かき交ぜながらのぞき込む。
 「昔は村中で漉いても漉き切れないほど楮が周り中にあった。今でも自生しているが、大分少なくなった。埼玉の小川町の漉き手から『秋畑の楮は質がいい』ってほめられたもんだが、今じゃあここだけの楮じゃ足りないから逆輸入している」
 かつて、秋畑地区は紙漉きの村といわれるほど、どこの家でも代々その技術が伝えられていた。林業が主産業だったため、冬場(十二月から四月)の農閑期の産業として盛んに生産されていた。高度経済成長による産業構造の変化に伴い次第に姿を消していき、昭和五十年ごろには完全に伝統の灯が消えた。
 飯塚さんもそのころ、紙漉きをやめた。しかし「やめた寂しさが心に残っていた」という飯塚さんは、道具はそのまま保存しておいた。八年後、町おこしの一つとして復活の話が持ち上がった。妻のタマ江さん(71)も、娘時代から紙漉きに携わってきたベテラン。二人三脚で復活していくことを決めた。
 煮上がった楮はカズ打ち板の上に乗せ、カズ打ち棒でたたく。これに、ウツギアオイの根の部分をつぶして水に浸した水糊(のり)を加え、むらなくかき混ぜる。これを自宅近くを流れる湧(ゆう)水を引いた水槽の中に入れ、漉き枠にはめたすのこですくい上げる。
 その上にすのこをあて、軽く押して水分を切る。漉き上げた紙は天日干しにすると白さを増すという。雨の日は、蒸気機関車のボイラーを切り取ったような大型の乾燥機に張り付けるようにして乾かす。
 秋畑和紙の用途は、以前は障子紙が八割、残りが唐傘だったが、復活後は水墨画や書道用が中心。町内の小・中学校七校と吉井高校の卒業証書にも利用されている。年間の生産量は楮に換算すると約百キロに上るという。飯塚さんは「終戦直後は紙がなかった。和紙一しめ(二千枚)とコメ五升を物々交換して暮らす時期もあった」と振り返る。
 作業場には、見学に訪れた人たちが、和紙に趣味の俳句や短歌を墨書していった作品が飾られている。「睦まじく手漉きの和紙を守り来し夫婦ありけり秋畑の里」。作業を見学した折の感動が、一つひとつの作品に込められている。
 「できればこの伝統を絶やしたくないが、和紙だけでは生活できない。消えていくのは寂しいが仕方がないことです」。飯塚さんは長男夫婦と孫の六人暮らし。今のところ後継者はいない。


(c) JOMO SHINBUN 記事提供 上毛新聞社 禁転載

甘楽町役場 〒370-2292 群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡162-1 TEL 0274-74-3131(代表) FAX 0274-74-5813
このホームページに関するご意見、ご要望をお聞かせください。(企画課情報政策係)
.