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引札(ひきふだ)

最終更新日:2015年04月27日

引札(ひきふだ)   

 引札は、江戸、明治、大正、昭和初期頃にかけて、商店、問屋、仲買、製造販売元
などのために作られた広告チラシです。
 広告の歴史資料としてだけでなく、当時の時代的資料の価値、美術的価値もある
印刷物です。
 ご紹介する引札は、甘楽町内の引札で、甘楽町歴史民俗資料館蔵の一部です。
美しい彩色や構図等ご覧ください。

 

下駄製造萬履物類 北甘楽郡小幡 中澤嘉吉

 明治期に嘉吉氏が創業。下駄を作り鼻緒(はなお)を結び店に並べた。
 下駄製造は昭和期までおこない、他に雑貨や駄菓子、タバコなども販売した。
   明治期。石版彩色刷。29.2×40.6cm。

  

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下駄製造販売 山田履物店 上州小幡町 

 明治期に山田彌十郎氏が創業。店主が買い出しに行って来た桐材を、
妻まんさんと二人で下駄に加工し、鼻緒を結び、自慢の品を店内に並べた。
下駄の需要減少とともに昭和41年(1966)に閉店した。
   明治期。石版彩色刷。28.8×42.0cm。 

 

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銘酒万朶櫻 北甘楽郡福島町 大坂屋 内藤辰治 

 新潟県出身の杜氏(とうじ)だった辰治氏が、吉井町(現高崎市吉井町)の
馬場酒造で修業後、大正12年(1923)に福島の現在の地に創業。
同社の地酒「万朶櫻(まんだのさくら)」は辰治氏が愛した銘酒。
 飲み屋が少なかった時代、店先に人々が集い、店主が作る酒の肴(さかな)を
つまみに酒飲み話に花が咲いた。現在は三代目が内藤酒店の看板を守っている。
   大正期。石版彩色刷。28.6×41.8cm。

 

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上州小幡町 志のや 山田八五郎

 明治21年(1888)生まれの八五郎氏は、7歳の時に父親を亡くし、富岡市の
「志のや」に奉公に出た。修行を終えた八五郎氏は、店を出す場所を探すために
八幡山(はちまんやま)に登り、小幡の町並みを見下ろして場所を選んだ。
 通りに面した敷地いっぱいに、間口8間、総2階建て、妻の実家で製造した
福島瓦を使って大きな店を構えた。戦中、販売する物が無くなり、明治期から
続く店を閉めた。
 引札に書かれているように、荒物(あらもの:ほうき、ちりとり、ざる等)、
太物(ふともの:反物、衣服にする布地)、砂糖、油、味噌、醤油、日用雑貨
などを販売した。
   明治期。石版彩色刷。28.7×41.6cm。

 

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  豆腐製造商 小幡旧藩 横尾喜三郎

 明治期に喜三郎氏が創業。昭和62年(1987)まで四代にわたって営業した。
 毎朝4時から仕込みを始め、豆腐、厚揚げ、油揚げ、おから、がんもどき、
納豆などを販売した。
 作りたての美味しい品々を求め、朝6時頃から近所の人がザルや器を持って
朝食のおかずを買いに訪れた。
   明治期。石版彩色刷。28.2×41.7cm。

 

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  御菓子饅頭製造所 上州小幡町 今井波次郎

 明治初期に創業。店舗奥の工場で大鍋で煮たアンコを、酒かすから手作りした
生地で包み、一つ一つ手で丸めた職人の饅頭(まんじゅう)は、予約だけで完売
した。蒸篭(せいろ)からは饅頭を蒸しあげる湯気と酒饅頭の独特の香りが立ち
こめ、その場でアツアツを頬張る人もいた。
 “波さんまんじゅう” として有名で、土産物にする人も多かった。
 昭和51年(1976)まで営業。今でも懐かしむ人が多い。
    明治期。石版彩色刷。28.2×42.0cm。 

 

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 上州小幡城町 清水岩吉

 青物(あおもの:野菜類。いわし、さばなど背の青い魚)、果物、雑貨を
販売した。
   明治期。石版彩色刷。28.2×41.9cm。

 

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 銘酒東遊醸造元 上州小幡字上野 佐藤啓蔵

 大字上野字下村にあった酒蔵。
 酒蔵があった土地は屋号の「+-」から、今でも地元の人から
『じゅういちや』と呼ばれている。
    明治期。石版彩色刷。29.0×39.8cm。 

  

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